セツナブルースター
12/3(日)に倉島大輔さんの弾き語り&セツナブルースターのライブに行った。
普段ライブレポなんて書かないんですけど、あまりにも余韻が残っているので。
ライブの話はあんまりしません。
セツナブルースターへの想いについてが9.5割
まずセツナブルースターを知ったのは17歳の夏。当然解散後。
YouTubeでたまたま “涙の成分について”を聴いて好きになった。
切ない、もうとにかく切ない。
“どうしたの 涙を浮かべてた 君の方がずっと僕は好きだよ”
こんな経験ないけどなぜか共感する。
好きな人の笑顔と同じくらい泣き顔が愛おしい、そんな感じ。
そして次に胸に刺さった歌詞
“僕が子供の頃 自転車が流行っていて それをプレゼントした時の顔が 忘れられないと父は言う”
これに関しては思うことが幾つもある。
私には倉島さんの父親がどんな方だったのかわからない。
ただ、ここで一つ共感できたのは幼い頃の父の記憶。
自分は正直、父親には恵まれなかった。
しかしその中で記憶に残る父親との淡く鮮やかな思い出がある。
それは自転車を買ってもらったものでもなく、大衆的な幸せなものでもない。
日常生活において一般的な、普通の父親との思い出が、恵まれなかった自分にとってはとても幸せなものに感じた。
ここで一つ倉島さんと同じ感覚なのではないかと思い当たるものがある。
それは、”不自由なく過不足なく流れて行く生活の中で感じる孤独”である。
倉島大輔さん始めセツナブルースターのメンバーは皆、学生生活において友達がいないわけでもなく虐められていたわけでもなく、充実した毎日を送っていたそうだ。
そんな生活をしていた中で何故、あんな歌詞やメロディが浮かぶのか。
勝手な自己解釈だが”鮮やかな周囲の中で感じた灰色の孤独”であると思う。
倉島さん自身、自らの楽曲を”グレーな青春”と表している。
自分はその意味を100%理解出来るわけではないが、似たような感情がある。
自分自身、虐められた経験はあるが中学生以来、友達という人間関係はあまり作らなかったものの皆平等に接し過不足のない毎日を送って来た。
特別な関係を築かなかった故に感じる劣等感、どこにも属さない自由感と共に感じる孤独。
きっと倉島さんも不自由ない人間関係と自由の中に孤独を感じていたのではないかと、私は思う。
“思っていたより多すぎた孤独や弱さたちは 早足で歩こうとする僕に絡みついた”
不自由なく過不足のない生活の中で感じる”さみしい”という感情は、10代の心を確実に蝕む。
10代の頃の思い出は一生心に刻まれる。
そのころ好きだった漫画家や音楽はいくつ歳をとっても見て聞けばそのころを思い出すというが、それと同じで10代の頃についた傷はどんなきっかけで思い出してもおかしくない。
日常生活において思い出すきっかけなど溢れかえっているのだ。
そのきっかけを脳の奥底から引き出す音を出すのがセツナブルースターである。
もしも彼らがまたセツナブルースターとして帰って来たら、また灰色の青春を歌ってくれるだろうか。
彼らはもう、青春の中にはいないのに 、それを期待するのは的外れだろうか。
名の通り”刹那の青い星”としてその名を永遠に刻むことが正解なのだろうか。
ただ今回のライブで、この現代にセツナブルースターが立つ舞台は十分すぎるほどにあるということが証明された。
“僕が君と並んで歩くまでが どんな遠い未来になろうとも 涙を一粒だけ我慢する それだけのこと”
「セツナブルースター、また観たい?ー
答えなんて、決まってる。